もとは「小治田」「尾張田」などとも書き、小治田連藥という人は、親族がたいへん多く、この國(尾張)にいたが、八人の姓氏を尾張宿禰と賜わったことが『續日本紀』に見えたるのは、同郡小針村のことを指すが、ここにも一族が移り住んだ。当所北の方の山手に古塚が多くあるのは、かの氏族の人々の墓印なのだろう。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)