長さ九間、梁六尺の渡し船が二艘置かれ、普段は一艘に3人乗り込んで操作していた。寛政十三年(1801)当時の渡し賃は、武士は無料、商人荷一駄につき人馬とも十八文、旅人は一人につき六文であった。しかし、出水が七合余になると渡船は差し留めになった。