慈眼山成願寺。成願寺村にあり。天台宗、福徳村聖徳寺の末寺。もと常觀寺とかき、行基菩薩作の十一面観音を本尊とする大伽藍だったが、衰微して今は草堂のみ残る。暦應の頃(1338-1342)の古経があったが、今は散亡して所々にあると信景は記す。
太田和泉守牛一は、はじめ又助といい、信長公の近習書記の役を勤め、また弓鎗六人衆といった武役の一人として名高き人であるが、幼少の時にこの常觀寺にて成長し、壮年(現在でいう40/50の働き盛り)に還俗して武将となったという。軍功も頗る聞こえ、かつ筆記を好み、『天正記』九巻を著述した。また『信長記』十五巻を綴ったが、 後に小瀨甫庵が改訂した。その他、『關ヶ原軍記』『日簿』等も著した。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)