鷲津の砦よりは東西に五間程(約9m)広く、それ以外はみな同じである。義元合戦の時(桶狭間役 永禄三年-1560)、尾張勢の佐久間大學がここに居たが、19歳で初陣の徳川家康が進伐し、大學が敗績、討死したという。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)