赤津村にある。今は八王子と称す。『延喜神名式』に大目神社、『本國帳』に従三位大目天神と見える官社であるが、いつしか神號も失せ、その地を「大まもり」或いは「御守塚」などゝ呼んで居たが、天保十一年(1840)十月、故あって当社を開扉し、神宝等を改めたところ、内陣中央の上段に、御正體・御正印の御箱があり、神寶さま〴〵ある中に、『本國帳』の古写巻物一巻あって、その奧書に、『奉納大目八王子宮』としるし、また祈祷札とおぼしき物があり、『大目八王子大明神御神前。天和三年(1683)癸亥正月二十二日祭主敬白』 と見える。こうしてはじめて式内の神である事が分かった。当社はむかしは祠官あって、中島氏と呼んだが、いつしか絶家して、今は應永の頃(1394-1428)中島善太夫が住んだ地として、「中島の切」という名のみ残る。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)