※詳細な場所はいずれも不明だが、瀬戸村の情景があるためここにおく。

瀬戸村の内の所々にある。奧印所洞・高根・蜂欠・日け嶽・反窯・五位塚・鳶け根・梅の木・白地・小左定納等があり、これ以外にも多い。このように当所は陶器に用う数種類の土を出す。近村にも出る所があるが、他産は細工に用い難いという。なので藤四郎の在世から、今に至って六百年余の星霜を経て、堀り取った土はどのくらいだろうか、限りないようだが、土が尽きないのは、実に陶器相応の土地というべきである。

当所は東南北に山嶽が連なり、中央に瀬戸川が流れ、村落はすべて山傍にある。北新開・南新開・宮脇島・郷島・洞島の五組に分かれている。一村に農商は少なく、陶工のみ多く、家の様子も他村と異なり、石垣など磁器(「いえごろ」或いは「かまいた」などという茶碗など焼いた時に使う室や台のような物。)で組み立て、瓦も赤津焼が多く用いれられている。山の半腹に近いところまで築いた小窯(本業窯で藤四郎窯ともいう)丸窯(染付窯)は、陶器の煙が絶える事なく、日々の運送は、車馬或いは歩いて運び出し、府下(名古屋城下)まで六里程(約23m)、朝から夕に至るまで、引きもきらず。城東で第一の繁華で、農業のみの村立とは、自ずとその様子は変わり、対して雅趣ある土地ではないが、風流好事の遊人は、必す至るべき見どころのある場所である。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

瀬戸市東本町1丁目24番地
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