上品野村の辰巳(東南)の方の山手にある。『若有隨筆』に、享禄二年(1526)清康君兵を尾州に出して、大いに戦って勝ち品野城を取り、松平(内膳正)家重に賜わった、とあり、山澄風殘翁撰の『桶狹間合戰記』に、是ヨリ先尾州科野(しなの)の城を、今川方が櫻井の松平監物家次(信定の孫、清定の子。)に守らせ、尾張方が向城を構えて、日夜攻め撃った。城主家次は甚雨の夜、敵の油断を窺って、不意に深夜に付城へ取りかかり、木戸を打ち破って乱れ入る。尾張の兵は思いよらず、大いに驚き騒ぎ、或いは同士討ちし、或いは構えを越えて逃げ出した。こうして尾張軍の渠帥竹村孫七郎・磯田金平・戸崎平九郎・瀧山傳三郎をはじめ、五十余人が討死し、そのほか悉く向城を捨てゝ逃げ去った。義元家次が軍功を褒めて感状を賜う、と見える。
また村の西北にも古城址が一ヶ所あり、桑下の城という。永井民部少輔が居城したことがいい伝わる。永井は松平家重とその子家次に仕え、後に織田家に属したという。祥雲寺に位牌がある長江民部と同人か別人かは調査が必要である。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)