もと庄名であり、此の辺一帯はすべて内海の庄であった。『東鑑』及び宗祇の『方角抄』に内海と見え、『松葉集』には打見と書かかれて尾張の名所とする。

当郡の海浜でとりわけ浪が荒いのはこの内海の浦である。そのため種々の石や貝殻など多く打ち上げられ、児女の遊び道具となるものも少なくない。なお、その百分の一を図にして世に紹介されている。

また海藻も豊富で、殊に神馬藻(別名:なのりそ)は、神功皇后が三韓征伐の時に馬に与えたことから神馬藻といい伝えられ、『下學集』にも記されている。味は非常に雅趣である。

海近き うらには松の音たてて 浪ぞうつみの 沖つ夕風
『名寄』 鴨長明
蜃気楼

同所の浦々では、春夏の間の晴れた時に、海面に浮べぶ気象で、朦朧とした煙霧の中に、 山郭・旌旗・城樓・竹樹・人畜の動靜の姿まで姿を現し、やがて消滅する。いわゆる海市である。周防では「濱遊」と称し、越中にて狐の森という。いずれも同じ現象である。また、唇蛤の吐いた気ともいう。『前漢書』天文志に云く、「海旁氣象樓臺。廣野氣成宮闕」とありこれが海市・山市で、仏書の乾闘婆城もまた同じ気象現象である。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

知多郡南知多町
種別