※正確な場所は不明
本町一丁目の唐本屋(氏ハ花井)という家に、 長年伝わる臼があった。明和九年(1772)の春頃、これを打ち割って薪にしようとしたところ、異様な香りが四方に薫じた。近隣の者はみな驚いて馳せ来て、見てみると、赤梅檀の極上品であった。
そこで少し焚いたところでこれを秘蔵し、少しずつ知人たちへ分けた。森川某が故あって冷泉爲村卿へ差し上げたところ、その香りを「夏衣」と名付けられた。
おぼろ夜の かげは霞の うすものに
こぼれて匂ふ 梅が香の 日數にうつる
春くれて 夏立つけふの うすごろも
うす紫の あふちかげ すゞしき風に
秋のたつ うす霧なびく 初尾ばな
ほのかにうすく 暮れそめて きくこゑ高き
山かぜに 月すむ秋の 琴のこゑ 夜寒(よさむ)のかりも
音(ね)をそへて そともの木々の うすもみぢ いそぐ時雨の
朝戸出に 庭のうす雪 めづらしな なげのなさけの
筆のあと 墨うすからぬ 玉章(づさ)の契はいつか
うすからむ うすきへだての 賤が家に 稻つく臼の
槌の歌 うたふ聲々 おもしろや
と御自筆にかきて賜わる。この歌に藤尾勾當が曲節をつけ、琴に合わせて歌ったのをお聴きになり、また冷泉家より、歌を詠んでかの勾當に賜った。
香木のうすという名に寄せて書き付け、お見せしたことばに、藤尾の勾當が曲節をいっそう巧みに付けて、琴に合わせたので
うたふ歌の ふしにこゝろをつくし琴 いとめづらしき しらべをぞきく
この勾當は尾張の國の人である。はる〴〵都にのぼりこの調べを聴かせるのも、因縁の薄(臼)からぬゆえであろうか。
澄覺
参考
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)