慶長13年(1608)10月18日、小信川(荻原川、五条川とも)の流路を留め築堤する工事の後、「荻原船頭中」に60石が給せられた。小信川の築留の直後のため池沼化していたが、なお渡船の設置が通行上必要であったのだろう。なおそれ以前に船頭給は、それ以前に秀吉の四奉行によって60石の引換証文があるから、それを引き継いだのであろう。

「尾張名所図絵」のなかに
荻原川一名古川といい荻原宿の西を流れ街道に板橋を架せり。この川昔の木曽川鵜沼川の旧流なり。後世、川の瀬変りて起川を本流としたれど、昔の流のあとかく残りたるなり。
とあり、この荻原の渡し場は西荻原の天神社の辺りにあったと伝えられている。

参考
尾西市史編さん委員会『尾西市史 通史編 上巻』(尾西市役所、平成10年)

一宮市西萩原葭山
種別