間遠渡 七里の渡

安くぞ通ふ千船百船

この湊から伊勢の桑名へ渡る「七里の船渡」である。

天武天皇が大友の皇子の乱(壬申の乱)をさけて東国に下りなさり、伊勢から尾張へ渡られた時、御船がなかなか着岸しないのを嘆かきなさり「間遠なり」と仰せらたことから、このように名付けられたことがいい伝わる。

この海上七里の間、尾張・伊勢二国のあらゆる風光、船底に居ながら眺めやれば双眸ひまなく間遠なりとも思う間もなく着岸するのも、追い風に任せて真帆が早いということでなく、山海の美景がこの渡しに豊かであるためだろうよ。


『癸未紀行』

鵠舟雀軸季秋天。曉向桑名發熱田。
中有白頭看白浪。使星枕籍亦同賑。
林羅山
白鳥のような舟や雀の飾りの舟軸が行き交う晩秋の空。暁に桑名に向かって熱田を出発する。
船の中に白髪頭が白い浪を眺めている姿がある。旅する人々は荷物を枕にしながら、同じく賑わっている。

『癸未紀行』
二十四日の夜。寛永二十年(1643)九月。父とともに源豆州(松平伊豆守信綱)に従い、熱田より官船に乗って海を渡り、翌日桑名に到った。古詩一篇を作り、以って事実を述べる。
林春斎

官使來到尾陽州。熱田驛亭暫憩休。
本州亞槐遙勞慰。慇勤命吏贈彩丹。
浹旬之際五馬後。到此同棹萬丈流。
船郎揚聲推檣楫。大夫兵衞建戈矛。
東西南北千里目。浩々湯々乾坤浮。
聞説海上有仙子。人自蓬莱宮裏遊。
春叩門裏太眞院。渺茫問津楊通幽。
元是幽冥不通信。畢竟仙境何爲求。
感得人生本如寄。渺然一粟亦一漚。
鳶飛魚躍上下道。阿誰乘桴追孔丘。
揮筆欲讀玄虚賦。蠡測智淺愧元劉。
有酒有茶又有菓。曉汲清水喫乾糇。
驟雨滴了晴偏好。坐來耳邊響颼飀。
葵紋帟幕篷屋上。望中多景簾上鉤。
潮滿風穩七里際。隣邦山遠回雙眸。
想像當時馴機者。溶漾出沒見白鴎。
寒月夜曙朝暾影。時有輕舸漁網投。
舳艫繫帆桑名岸。 可謝封姨與陽侯。
桑名既是勢州地。 天武皇后曾停輈。
又聞聖武行幸路。廣繼不能遂逆謀。
自玆望洛三十里。長途漸近忘客愁。
有母有弟武城下。海山雲水思悠々。
膝下相別遠遊日。 記憶韓公嘗諭歐。
佳境名區所經歷。 長公紀行欲寄由。
家君安穩我無恙。願畢官事大刀頭。

官使が尾張に着き、熱田の駅亭で暫く休憩する。
本州の高官が遥かに労い、慇懃に吏に命じて彩やかなものを贈る。
十日間の滞在ののち、長官の後に着き、ともに万丈の深い海に棹をさし出す。
船郎は声を上げて帆とかじを推し、武士や兵は槍や矛を立てる。
東西南北千里の視界、水が満ち満ちて天地が浮かんでいるかのようだ。
聞くところによれば、海上に仙人があり、人は蓬莱宮(熱田神宮)の裏から遊ぶのだという。
春に太間院の裏の門を叩き、果てしない水辺で渡しを尋ねて、楊幽(幽冥の楊貴妃)に心を通わせる。
しかし、もともとこの世とあの世(幽冥)は通信出来ず、仙境をどうして追い求めようか。
人生は本来寄のようで、遥かな海に浮かぶ一粒の米、或いはひとつの滴のようなものだ。
天に鳶が飛び、魚は躍る自然の道理。いったい誰が筏に乗って孔子の跡を追うのだろうか。
筆をふるって玄虚賦を詠もうとするが。貝で海を測るように知恵は浅く、元劉に対して恥ずかしい限りだ。
酒があり、茶があり、また菓子もある。暁に清水を汲んで干し柿を食べる。
にわか雨が滴り落ちて止み、晴れ渡った景色はことさら良い。思いがけず風が吹き耳元でヒューヒュー響く。
船屋根の上には葵紋がついた小さな幕がしつらえてある。望中の多景簾をあげてみる。
潮は満ち風は穏やかな七里の時間。隣邦の山、遠くまでよく見渡す。
かつて企てを捨てた故実の人を思いながら、波間に出没する白いカモメを見る。
寒い月夜が明け、朝日の光が差し込むなか、時折に小さな船が漁網を投じている。
やがて帆が繫る桑名の岸に到着してかじを並べる。風の神(封姨)と海の神(陽侯)に感謝したい。
桑名は既に伊勢の地である。壬申の乱で天武天皇の皇后がかつて留まった所である。
また聞くところによれば聖武天皇が行幸された路であり、藤原広継の逆謀が遂げられなかったという。
ここから都を望めば、三十里(約120km)。長い途もようやく近くなり、旅先での哀愁も忘れていく。
故郷の城下には母があり、弟がある。海山雲水、思い悠かに広がる。
親の膝下を辞して、遠く旅立った日。かつて韓公が旅立つ子の嘗歐を諭した故事を思い出す。
巡ってきた佳境名所について長公の紀行として便りにしたいと欲する。
父上は安寧、我もつつがなく。願わくは官事を終えて一日も早く帰り着きたいものだ。

『東関記』
澤庵和尚

過熱田前初月寒。三更雨進不心安。
征帆遲速風消息。渡是巖陵七里灘。
熱田の前を過ぎれば、初月が寒々と照らしていた。夜半になって雨脚が強まり不安だ。
旅行く船の速さは風の様子次第。渡しは巖陵(中国浙江省の急流)の如き七里の灘(なだ)。

尾州熱田從リ藝陽廣島迄ル路行之詩

『詞林意行集』
梁南和尚

海山萬里一禪衣。晩出蓬莱路不違。
若是西風有神助。扁舟早戴月明歸。
海山万里を行く僧衣をまとった禅僧。晩に蓬莱(熱田神宮)を出て路に間違うことなく向かっている。
もし、この西風と神の助けが有れば、小舟で早く月明かりを浴びて帰るだろう。

『身延紀行』
七里渡 僧元政

西風七里片帆懸。波上飄々著熱田。
邂逅相逢三五夜。超遙飛過九重天。
仙山縹緋宋漾句。鯨海渺茫徐福船。
吾孝不容携父骨。徘徊月下憶僧蓮。
秋風(西風)が吹く中、七里に片帆をかける。波上を飄々と熱田に着く。
思いがけず出会った十五夜の夜。遥か高く大空を飛びさる。
霞む仙山を詠んだ宋濂の句が思い浮かび、鯨の海を見渡せば徐福の船。
父の骨を携える私の孝行は報いられるのだろうか、月の下に思いに沈み徘僧蓮を思い出す。
※3×5で15夜

『さゝ枕』
四日。七里の航海は、風吹き雨降り、どうなるだろうかと心細かったが、明け始める空の景色に

微風擺暗霧 麗日泛浪罅
一帆如逐電 短櫓若歴塊
微風が暗霧を振り払い、うららかな太陽が水面に浮かぶ
張り詰められた帆が稲妻を追いかけるように、短い櫓は塊をかすめるかのように。

まもなく熱田宮に着いた。干し飯が柔らかくなる程の間に明神に参拝した。その時、

碧殿御燈側于深樹中
春叩玉扉鎖於秋霜底
寂々風物層々樓臺
立派な殿舎の御燈は深樹の中に佇み
春の日に貴い扉を叩いてみても秋霜の底に閉ざされている
寂々とした風景に重なりあう神殿や廟

さながら天海が絶つ蓬莱山の仙人の遊ぶ霊窟である。畏れ多くも一心にお祈りして将来の行末のたのみをお守りいただくよう申し上げる中にも、ただ故郷の老士を思い出して、「楚河未ダ決セズ」と怨みがましく仮名書きしたことも、たちどころに旅立つ袖に涙を添えるのであった。ことば足らずだが

秋風と ともに都をたちしより たもとの露の かわく日ぞなき
源通勝 秋風とともに都を旅立って以来、袖の露が乾く日とてないことよ
秋

『あづまの道記』(慶長十七年-1612)
伊勢の海は、塩屋(塩焼き小屋)のありさまが目に付く。桑名という所から申の時(午後四時)ほどに舟に乗った。ここから熱田の方という所へ漕ぎ渡るのに、七里の距離があるため夜も深く更けてしまうだろうと言う。次第に暮れゆく空は曇って塞がるような心地がして、行く先も見分けることができず、今まで見えていた浦の山も暗闇の中にひとつに消え失せてしまった。 雨風さえも突然に吹き出してきたので、波に揉み落とされそうである。苫(とま)を引き広げて船底の塵(ちり)の中に横たわったが、まったくまどろむことも出来ない。「どうして知ることができましょうか、熱田の方という所はどの方向でしょう、教えてんや」と問えば、「おのれ(自分)もどうして知りましょうか、雨が降り出して漕きづらくなれば」と腹を立てる。たかき山(頼もしいという意)と頼みにしていたかじ取りも、こう言えばどうしたものか

都人 あつたの方のいざり火の ほのもしらじな ゆたのたゆたお
豊臣勝俊 都の人々は熱田の漁火のほのかな灯りも知りもしないだろう
※ 豊臣勝俊は秀吉の正室の北政所の甥であり、関ケ原の戦い後は隠遁して、細川幽斎に師事して歌人となった。

『春の曙の記』(寛永六年-1629)
桑名に着いた。城の主、屋形を設けた朱塗りの船を整えて迎えられたので、すぐに乗り移った。伊勢尾張の境の海は、ほのぼのと霞んだ月の風情が優美で、波は時々白く立ち、船頭(かこ)の掛け声も威勢よく、船同士が競うように歌う。月も次第に沈む頃に近づいたので、人を静かにさせて

はる〴〵と 過ぎにし方の人やあらぬ 波はむかしの 伊勢の海づら
光廣卿 はるばると過ぎ去っていった旅人たちはいない、波ばかりは昔と変わらない伊勢の海の様子であるよ

そうこうするうちに、鐘の聲が波の枕に響いたので、船中で枕から頭を上げればその聲は近い。熱田宮裏の鐘と知る。船がついた。

寛保元年(1471)七月関東下向の時

船みちの 凉しかりしも秋の日の あつたに來ては 吹く風もなし
爲久卿 船路は涼しかったものの、秋の日の熱田に来ると吹く風もない
秋

あすの船路の安らかなことを願って

ねがふその めぐみ熱田の神風に あすの船路や 安く渡らん
爲章卿 願う、そのご利益を。熱田の神風によって明日の船路を安らかに渡ることができますように

『醉露菴集』(明和-安永期 1770頃)
宮より船にて渡る

神風の いせにゆかんと夕なぎに 船とりよそひ 漕ぎ出でにけり
建部綾足 伊勢に行こうと波の穏やかな夕凪に、船をとり漕ぎ出した

『雁の行かひ』(文化四年-1807)
知人が京へ帰るときに詠んで送る

伊勢の海 沖つしほさゐあらき日は あつたの渡(わたり) 船出(で)すな君
村田春海 伊勢の海で沖の潮騒の荒い日は、あつたの渡しから船出するなよ
守ります 神のちかひの熱田がた 安くぞ通ふ 千船百船
磯足 守るという神の誓いがある熱田潟では安らかに通っているよ、数多くの船が

『東國紀行』(天文十三年-1544)

月雪の あはひにあつる 海邊かな
宗牧 月と雪の合間に佇む海辺かな
冬

『熱田三歌仙』(貞享元年-1684)
尾張國熱田に参りました頃、人々は師走の海を見ようと船を出し

海くれて 鴨の聲ほのかに白し
ばせを(松尾芭蕉) 日が沈み海が暮れて、鴨の聲がほのかに白く感じられる
冬 十二月 ←師走

『春の日』(貞享三年-1686)
曙を見ようと人々が戸と叩いて誘いあって熱田の潟に行き、渡し船が騒がしくなってゆく頃。並松のあたりも見え渡り誠にのどかである。俳友の重五が枝を折って作った竹垣の近くに立ち寄り、今朝の景色を思い出して

春めくや 人さま〴〵の 伊勢參り
荷兮 春めいたようだね、様々な人が行き交う伊勢参り
春

参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市熱田区神戸町1006番地
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