清雪門の辺り、あるいは古渡榊(さかき)の森などともいって、赤染衞門の『家集』に、
「国にて、春、熱田の宮という所に詣でたが道に覚えのなく、問うてみれば「中の森」と申すので、うぐいすの声するほどは急がれず、また道中の森と思ったが」
と見える「中の森」であることが言い伝わる。
しかし、清雪門は大宮へ程近く、歌の意に合わない。また、海東郡には、まさしく上の森・中の森・下の森の名があるが、これまた路の程、遠く歌の意に異なる。
榊の森は遠近の程が、歌の意に叶うように思われるが、清雪門の辺りである旧説が多いため、ひとまずここに書き添えて後考を待つ。
清雪門の前であることが『厚覧草』(明和六年-1769)に見える。古歌に
涙川 其水上をたづねれば 阿波手の森の しべくなりけり
涙川の源流を訪ねれば、阿波手の森の滴なのであった
と、◎阿波手を詠み合わせたことにより、この辺りを涙川の跡であると言い伝える。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻三』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)