大福田社

神輿が血に染まる

※詳細な場所は不明、現存せず。

南新宮の南に隣接している。もとは神宮寺の境内にあったが、元禄十六年(1703)にここに移した。熱田摂社七所のうちの一社で、『本國帳』に大福田大菩薩とあるのがこれである。

朱雀院の御宇(930-946)に、 相馬将門(平将門)が反逆を起こし、追討使が下され、勅命により熱田社で御祈願があった。神輿を星崎にふり出して祈禱を行った。すると、理由もなく突然神輿が血に染まり、将門はその時刻に(藤原)秀鄕・(平)貞盛によって誅殺された。これは大神が示しなさった先兆である。

しかし、その神輿は血に汚れてしまったため、本宮に還座することができなくなり、新たに一祠を建ててこれを納め、「大福田社」と名付けた。祭神は正哉吾勝命。

平将門の乱は、平安時代中期に関東の豪族・平将門が起こした反乱で、二ヶ月で朝廷に鎮圧された。これは平氏一族の内紛がきっかけで起こった。平氏は桓武天皇の血筋から起こった家系で、将門を討った平貞盛の系統(伊勢平氏)から、平安時代末期に政権を握った平清盛がうまれた。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻三』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)