浄土真宗。
天文元年(1532)八月二四日、山科本願寺が兵火で焼失し、証如らは大坂石山へ避難した。山科御坊の祖像を石山に移し、諸国から集まった門徒は石山を守った。天文二年(1533)二月二日には美濃・尾張・三河の門徒に向けて警衛の兵を募り、同年四月には飛騨・照蓮寺へ書状を送り上洛して加勢するよう命じた。このため濃飛門徒の多くは早速石山に参上し、本山を守った。
この背景には、室町時代から戦国時代にかけて形成された惣村の存在がある。惣村は、荘園制度から郷村制度へ移る過渡期に現れた寄合を「惣」を基礎とし、荘園制下の村と異なり村民の掟を惣で定めるなど自治的性格を持った。浄土真宗の蓮如は惣村ぐるみの布教と組織を基本方針とし、一揆という形の民衆運動に繋がった。
参考
岐阜県真宗史
『上石津町史』(上石津町、昭和五十四年)144頁