大赤見村の西南の方にある。織田彈正左衞門尉勝久・その子平七郎久長が居住した。平七郎は後に彈正左衞門尉と改め、楽田村へ移り、弟敏任がこの地に残る。その孫を信久赤見左衞門佐といい、弟を豊久平七郎という。豊久の弟は豊興、母家の姓を名乗って服部道珍といった。永禄三年(1560)桶狭間の合戦で、今川義元を突いた服部小平太忠次は、豊興の孫である。その後、子孫がいまなお当所にあって、代々村長を務め服部氏と称している。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)