鈴木山教順寺。同町南側にあり。西本願寺直末。天正十年(1582)六月、瀧川左近将監一益の建立で、上野国の厩橋にあったが、その後鈴木重幸の嫡男重吉、父重幸菩提のために再建し、慶長六年(1601)甲斐國小松度に移し、同十一年(1606)丹羽郡外坪村に移し、寛永年中(1624-1644)今の地に遷った。由来の詳細は鐘の銘に載せてある。
阿彌陀如来は、聖徳太子が守屋の邪見を降伏させ、喜悦の余り仏法を広める為に、自ら彫刻した身の丈一尺二寸(約36cm)の霊像である。そもそも、この尊像は、摂津石山で本願寺と信長公の合戦の時、顯如上人の依頼で鈴木重幸が味方し、上人よりこの霊像を授かった。重幸は凱陣の後、信州木曽の奥に隠遁したが、生涯信心あった尊像だったので、没後に家臣今井源吾重吉方へ霊仏及びそのほか遺物まで贈った。その後、重吉から当寺へ寄附されたため、重幸の武器及び遺物等の什宝数多ある。また親鸞聖人真筆の六字名號は、「豊人身がはり」の名号と称して特に尊ばれている。 その他枚挙に遑あらず。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)