起宿

慶長八年に現在の坂下にあった本陣と向側の脇本陣辺りを中心とする十六軒の集落から起宿は始まった。大名一行の宿泊や、人足や馬を用意するという宿の役割を果たす事は容易でなかった為、開幕から15年余後の元和二年(1616)に富田村と西五城村が加宿し、13年後寛永六年(1629)に小信中島村、東五城村が加えられ、起五ヵ村で宿役を共同負担した。起村を除く四カ村は定助郷村として届出ていた。

五ヵ村の人馬の負担額は、起村の馬30疋・人足46人、小信中島村の13疋・32人、東五城村の9疋・27人、西五城村の10疋・24人、富田村の11疋・38人の合せて起宿の役馬73疋・役人足167人で、問屋場に詰めて備えた。しかし、将軍や朝鮮通信使など多人数の通行では不足したので、寛永十二年(1635)に宿の寄付の村として31ヵ村をして127疋の馬を差出し、人足は徴発数は定めず入用次第で使う事となった。

参考
尾西市史編さん委員会『尾西市史 通史編 上巻』(尾西市役所、平成10年)

一宮市起下町
種別