恒武天皇の時代、大同3年(808)に征夷大将軍坂上田村麻呂の開基により延鎮大師が国家鎮護を祈願する霊場として開山しました。元来は真言宗でしたが、臨済宗妙心寺派の寺となりました。
本堂は寛文13年(1673)に建立されました。本堂内に安置されている木造十一面観音菩薩坐像は国重要文化財です。桧材の寄木造で、木地の上に黒漆、赤漆を塗り、金箔をおいたものであったが、現在では剝落し香煙で黒ずんでいる。
観音像としては珍しい結跏趺座の坐像であり、左手は蓮花を持り右手は美しい曲線、温雅な容貌を持ち藤原期の特色がみえます。
また脇仏の地蔵菩薩は室町時代初期の作と推定され、県重要文化財に指定されています。
平成元年の春、庫裡から縁起が見つかった。
延鎮は大和の小嶋寺(奈良県高市郡高取町)の僧であったが、宝亀9年(778)観世音が夢枕で「山城の国へ行き汝の志願を遂げよ」と告げられ、淀川を遡り水源の音羽山にたどり着いた。そこで老翁が私は行叡居士で観音経を読んで200年、東方へ行くので汝は寺を作り観音様を奉れと言われ草庵を結びました。延暦17年(798)に坂上田村麻呂が鹿猟でこの山で延鎮に出会い、帰依して奈良の自分の屋敷を移して此処で観音様を祀り、京都音羽山清水寺ができました。
延鎮はしばらく音羽山で観音様を祀りましたが、行叡居士が本当の観音様であるとして自らも東へ向かいました。加治田白華山に入ると行叡居士と再開しました。再び坂上田村麻呂に願い清水寺が作られました。
参考:
富加町教育委員会の看板
富加町 清水寺と木造十一面観世音菩薩坐像