二子山古墳は、全長94mの前方後円墳で、6世紀前葉の築造と推定されている。


5世紀後半以降、一定の政治秩序を保っていた庄内川中流域は右岸と左岸の勢力に分裂しそれぞれの地域で、大型古墳が築造され、右岸では味美古墳群が形成される。


全長94m、後円部高6.6m、前方部高7m、後円部径49m、前方部巾64mの規模を持ち、墳丘の周囲には周濠がある。平成4年の春日井市教育委員会民俗考古調査室の調査で、さらに北側に濠をもう一本めぐらした二重周濠であったことが分かった。周濠からは多くの遺物が出た。後円部のまわりから人物などの形象埴輪、前方部のまわりから、須恵器、円筒埴輪が、周濠外からは、円筒埴輪が出た。埴輪は100点を超える。一重周濠と二重周濠の間の遺構からは朱塗りの須恵器二点が出土して祭祀に関係した遺構と推測される(「二子山古墳遺跡」)。


埴輪は、含まれる岩石の成分の分析や、須恵器の制作技法を用い窯を利用して灰色・硬質に焼き上げられていることから、春日井市東山の下原古窯で焼かれた埴輪と同一であることが分かっている。製作された埴輪は下原古窯から川などを利用して運ばれたことが推定されている。


古墳の時期は、前方部が後円部より高くなった前方後円墳として新しい形態を示していること、出土した須恵器などから、6世紀前葉とされる。

6世紀前葉には庄内川中流域では、味美二子山古墳のほかに、瓢箪山古墳(全長63m)が築造された。この地域では味美二子山古墳は巨大であるが、尾張南部では、さらに全長150mの規模を誇る熱田区段夫山古墳が築造されている。


参考:

北区史 第三章古墳時代の北区 第二節庄内川中流域の大型古墳の変動

春日井市二子町丁目
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