※詳細な場所は不明、街道沿いということでここに置く。
新川の西、清須海道の並松の南側にある。永禄三年(1560)信長公は楠狹間の軍に打ち勝ち、 今川義元の首をここに架け、後に使僧を立てて、首を駿河に送らた。その跡のしるしとして築いた塚なので、駿河塚と呼び慣わしている。
数十囲に及ぶ松の大樹があったが、天保八年(1837)八月の暴風で倒れて、数百年のしるしを失った。惜しむべき。『總見記』によれば、十人の僧を仕立てて、義元の頭をもたせ、権阿彌(僧の階位)を付き添えて、駿河の府中まで送り届けた。さて、清洲から平町南須ケ口、熱田へ行く道に大きな塚を築いて、義元塚と名付け、弔の法事には千部の経を詠ませた。大卒都婆を建てなさった。信長は情ある大将かなと、近国までも沙汰がしたとか云々。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)