印場村にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺。山号は萬安山。近衞院の久安年中(1145-1151)開創といい伝え、堂宇も厳麗だったが、累年の兵乱に遭い零落した。寛永八辛未年(1631)、名古屋政秀寺の槐山和尚、國祖君(尾張藩初代藩主、徳川義直)の命を奉り当寺を中興する。槐山は丹羽郡羽黒村の出身で、梶原平三景時の二十九世の裔孫、茂助景義の五男である。境内に養老泉という美泉がある。里人は「菊水」とも呼ぶ。後醍醐天皇が養老泉の三字をかゝせなさり、この寺に賜ったが、今はその額も失われ名のみ残る。この水は山下にあって、寺僧が朝夕の用途としているが、僧侶下人等の増減に隨って、水も増減したという。
寺宝 大般若經六百巻、天文年中(1532-1555)理心という僧が書写して、この寺に納める。薬師画像一幅、恵心僧都筆。鍋釜一口、中興開山槐山和尚の家に先祖より伝え、頼朝公から梶原の家に賜った物といい伝え、その旧意を失わなかったために、槐山がこの寺に納めたという。また信長公・信雄公の寄進状がある。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)