如意村にある。如意山と号し、臨済宗、京都妙心寺の末寺。はじめ夢窓国師の開基で瑞龍寺といったが、應永年中(1394-1428)に当所の住人の長谷川大炊助藤原重行が修造して中興し、今の寺号とする。長谷川大炊助重行は、越中貴船山城の城主の石黑越中守重之の子で、尾州春日井郡如意村に住んだ(『浪合記』)。父祖の志を引き継ぎ南朝に仕えたが、足利氏との戦いに敗れて奥州へ逃れる。明徳4年(1393年)には、長谷川重行と名乗り、この地に定住した。後に尾張守護の斯波 [しば] 氏に属し、味鋺と如意の領主となった。重行は永享八年(1436)十二月十七日にここで没し、 八十八歲。 法名月山宗圓という位牌がある。 家系は名古屋城下の石黒家。
本尊 釋迦牟尼仏は仏工春日の作。
寺寶 錦九條袈裟は、信長公から澤彦和尚に賜ったのを、澤彦が当寺の中興開山天寂和尚に付与したもの。毘蘭園誕生畫像一幅・跋提河涅槃畫像一幅、共に石黒氏の元祖某が、朝鮮征伐の時に、かの地で得た品であると言い伝えられている。誕生仏の像は古い画で、朱印も見える。涅槃像は新しい画と見える。むかし大般若経一函あって、長谷川氏が寄附したが、何の理由があったのか、今は野田村密藏院にある。
参考:
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
北区史