臨済宗妙心寺派の寺。1474年に土岐氏が湧泉庵を結んだ事が発祥。境内には当地出身の坪内逍遥の歌碑や、槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓などがある。
播隆上人は浄土宗の僧である。その頃、寺院が俗化しているのにあきたらず、ひたすら念仏を唱えて托鉢しながら一生をおくる決心をした。人里はなれた山中にわけ入って苦しい修業を続けた。伊吹山を拠点に笠ヶ岳や穂高岳で修行をし、槍ヶ岳山頂に仏像を置き開山した。誰もがここを登れるように「善の綱」と称する足がかりを取り付けた。登山愛好者からは日本初のアルピニストと呼ばれている。「槍ヶ岳講」の信者達の為に坊主小屋を宿泊用に改造する等した。
槍ヶ岳開発の資金集めをしていたが、天保の大飢饉や嘉永年間の黒船渡来等が重なり、播隆は「西山の妖僧」などよからぬ中傷もあり登拝を一時停止した。天保11年(1840)になって山頂に鎖を取付けるなどしたが、関東へ下総国徳願寺から中山道を下り、木曾川を渡って太田宿まで来て太田の豪家林伊左衛門宅で足を留めたところ、病を得て同年10月21日に59歳で亡くなった。
太田下町の弥勒寺に葬られたが明治十年に廃寺となった為、祐泉寺に墓石が移された。「世の人の恐れ憚る槍の穂もやがて登らんわれ始めて」という歌碑がある。
祐泉寺の裏には桝形がある。