二重堀村にある。天正十二年(1584)、秀吉公が小牧山に対してここに砦を築き、日根野備中守弘就・同彌左衞門等を置いて守らせる。四月二十二日、秀吉公が敗れ退いた際には、木村常陸介・神子田半左衞門・小寺官兵衞・明石左近等がこの砦に拠ってしんがりを務めた。

さてこの合戦に、小牧に近い村々には、砦が多く築かれたが、小松寺の砦には、丹羽五郎左衞門長秀、久保の砦には蜂屋出羽守頼隆・金森五郎八長近、青塚の砦には森武藏守長可等を置いて、厳重に守らせた。

江戸時代には、入鹿用水や新木津用水の開削によって川沿いの湿地帯が水田として開発され、大きく発展した。江戸中期には家数16・人口152であったが、江戸末期には家数68・人口264に増加している。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

小牧市二重堀542番地
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