正平八年(1353)六月十三日、室町二代将軍・足利義詮は、後光嚴院を奉じて(連れて)近江の塩津を過ぎ、美濃国垂井を経て、小島頓宮に行幸し、八月二十五日に垂井頓宮に遷られた。小島の『壽佐美』に、
内裏のありさまはこのあたりにはまれなるいたぶきなれど山はさながら軒ばにて雲霧のはれまなし
と記し、また土岐家間書に、その後かの行宮を土岐郡へ移して「屋形」と号し、皇居のまゝ丸柱だった。修理され今に至るまで残ると記されている。 頓宮が板葺で丸柱の簡素なな建物であったことが分かる。
頓宮址は『美濃明細記』に小嶋頓宮白樫にありと記し、又同書に瑞岩寺縣明神社の上山際に文和二年(1353)に行幸された時の頓宮の旧跡があったと記され、 頓宮の跡は二箇所ある。
その一は、現在の小嶋村白樫字大門屋敷にあり、明治四十年(1907)に碑石を建設し、「後光嚴天皇(小島頓宮)御舊跡」と刻まれている。また、『薄縣明治五年白樫村明細帳』には字角之御前河原村抱右のものは「文和二癸巳南朝正平八年後光嚴帝臨幸之古跡」と載る。
その二は、南の端岩(巌)寺にある。
参考:『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)806、807頁