杭瀬川

かゝる旅ねの月をみむとは

不破郡、安八郡の境にある、赤坂の東に流れる川である。昔はくいせ川は赤坂村辺りから赤坂の東の川へ流れたという。中山道の渡し。

くひぜ川といふ所を船にてわたりて

『藤川記』(文明五年 [1473])

渡し守 ゆきゝに守る杭瀬川 月のうさきも 夜や待つらん
一條兼良 渡し守が往き来を守る杭瀬川、月のウサギも夜を待つ(舟を待つのか)

『東関紀行』(仁治三年 [1242])
くひぜ川といふ所に泊まり、夜が更けたころに川端に出てみると、秋の最中の晴れた空、清き河の瀬に映り、照る月波がいくつか見えるほどに澄み渡る。二千里のかなたの古人の心(白氏文集)を遠く思いやられて、旅の思いがますます抑えがたく思われたので、月の影に筆を染めつゝ
「花洛を出でゝ三日、株瀬川に宿して、一宵屡幽吟を中秋三五夜の月に傷ましめ、 かつがつ遠情を先途一千里の雲に送る」
など、 ある家の障子にかきつくる序文に、

知らざりき 秋の半の今宵しも かゝる旅ねの 月をみむとは
思いもよらなかった。秋の名月を、このような旅の途中で見るとは

『覽富士記』(永享四年 [1432] 連歌師堯孝の義敢将軍随行)
くゐせ川わたるとて、

夕されば 霧たと〴〵し河の名の くゐせ求めて 舟や繋がん
堯孝 夕方になり霧が立ち込めてきた。河の名の杭の打たれた浅瀬を求めて舟を繋ぎ留めよう。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)