木下にある。愛宕神社の起源は慶長十一年(1606)六月で、鍛治屋町の鍛冶兼常が犬山城主小笠原吉次に願い出て天台宗の愛宕山長泉寺延命院を建立し将軍地蔵を祀った。小笠原吉次布地寄附の證状がある。社寺は愛宕山延命院、天台宗にて山城國愛宕山長床坊の末である。
その後、前原新田入鹿山白雲寺から良陣らが住僧として代々継承してきた。明治の神仏分離政策により廃寺され神社として存続した。
織田広近が土岐氏の来襲に備え、文明3年(1469) 築城したのが始まりとされる。その後天文6年(1537) 織田信康が乾山[いぬいやま]に城を移し、木之下城は廃城になった。城跡は現在愛宕神社となっている。
昭和54年に城跡が犬山市指定史跡となった。
金名水に関して(水問題研究所 - 犬山市)から
境内には金名水があったとされる場所がある。金名水には伝説が伝わっている。
日照りが続くある日、村人が井戸のそばを通りかかった時、白い蛇を見かけました。目を凝らして見ると、その蛇は雨乞いをしているのでした。しばらくして久し振りの雨が降り、村人たちは「白竜様がおられるから、この井戸は涸れたことがないのだろう」と噂し、この井戸を大切にしてきました。
ちなみに犬山には「銀名水」なる井戸も。余坂にある奥村邸の庭先に有り、かつて織田信長も飲んだこともあると伝えられる古い歴史のあるこの銘水は今なお現役で料理店にて使われているとのこと。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)