享保一二年(1718)に尾張藩により市の開設が許可された。真清田神社の門前市である。
周辺の中島・丹羽・葉栗は綿作の盛んな地帯で、繰綿の集荷市場として地域の流通を支配していた。木曽川沿いには養蚕地帯が広がり、東野村が地綿の集散地となった。
綿作の商品生産が農村に浸透すると、苅安賀・岩倉・起・稲葉・小折などで市が立ち、社会的分業が進んだ。しかしやがて三八市が発展すると、苅安賀や起はほとんど立ち消えとなり、やや離れた岩倉も三八市場圏に取り込まれて、繰綿の買継ぎ市場へと姿を変えていった。