長嶋一揆の折、唯願寺の明慶・明覚が中心となり参戦した。とくに「明覚、剛毅、膂(ひ)力人に過ぎ、能く拇指を以って貨幣を樹幹に圧入した」(『時村史』)とか、合戦の際、矢が尽きると、茅葺屋根のやばらをひきぬいて矢にしたので、人々は「明覚坊の矢はつきじ」と驚いたと云う。また藤原町大貝戸には唯願寺の屋敷趾と伝える所があり、また藤原岳の頂上附近に、一揆の時唯願寺の住職をかくまったと伝える大橋屋敷趾がある。
また長嶋一揆で戦死した一六名の家へ、教如より御絵像及び法名が下付されたと伝えている。
参考『上石津町史 通史編』(上石津町、昭和五十四年)148頁