※正確な場所は不明
大久保見町に石橋を渡した小溝をいう。横の三ツ蔵伝光院の境内に、古い五輪の石塔があり、紫式部の墓だといい伝え、その辺りをこの溝川が流れるため名付けたという。素式部の墓がここにある事は古書に見えず、確かな伝説も無いので定かでない。三ツ蔵伝光院及び五輪塔は現在は名古屋市名東区に移っている。
女童の手鞠歌に
むらさき川へ身をなげて、身は身で沈む、小袖は小袖で浮いて行く、云云
があり、古き習わしで、昔は大河で、身を沈める程の深い淵であったらしい。今はわずかな溝川である。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)