慶長十五年(1610)名古屋城築城に際して材料運搬のため、熱田沖に通じる運河を開さくし、白鳥の低湿地に運河に連絡する大池(太夫堀)を掘り、材料置場、船溜りとした。
慶応五年(1865)の記録では白鳥材木置場構内23,913坪であった。尾張藩の公用材は木曽及び裏木曽の森林から伐出した材をここで収容した。維新後は一時中断した。
明治9年内務省地理局が木曽官材の伐木事業を開始しこの貯木場が使用された。同22年、木曽、裏木曽、飛騨の官材が御料地となり、この貯木場も御料局の所管となった。同40年には貯木場は約47,000坪に拡張し、また大正6年には貯水池の拡張と、構内に鉄道を引き込んだ。大正5年12月8日、白鳥貨物駅の営業が開始されると共に白鳥駅筏整理場水面11,300坪も新設された。そして中央線、高山線の各駅から貨車によって運搬された木材は貯木場に卸され、名古屋から各県に出荷される木材の大部分はここから発送されるようになった。最盛期には、面積水面94,500㎡、陸地54,100㎡、貯木能力年間50,000㎥を取り扱っていた。