下水野村にあり。尾張戸の神が鎭まる山として尾張山といったのを、このように呼び替へて、のちに東谷とさえ書き慣わすようになった。 山の麓の志段味村の方に石窟があるが、 尾張氏の古墳が、年を経て現れたものだろう。
この山は雌松のみ蓊鬱として、森々とした峻嶺であるが、山の北裏の水野川に沿う辺りに楓樹が数株あって、晩秋の奇観は、錦繍をさらすようである。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)