南朝・後醍醐天皇の期待した新田義貞は金崎城(敦賀)で敗れたのち越前国府(武生)を拠に越前守護・斯波高経ら武家方と戦い、藤島城(福井)で戦死した。金崎城の戦いで敗れた新田氏一族・堀口貞満は徳山氏を頼り、やがて谷汲山に城を築いた。藤島の戦いで敗れると義貞の弟・脇屋義助、武将の山岸光義らも逃れ、根尾城・長峯城に拠をかまえた。
暦応二年(延元四年-1339)九月十九日、足利尊氏に属する土岐頼遠・頼康らは大挙して攻め根尾城を落城させた。脇屋義助は郎党七三人と尾張へ逃れ、熱田大宮司・千秋氏を頼って敗兵を集め、伊勢・伊賀を経て後醍醐天皇なきあとの吉野へ入った。