貞応元年(1222)弘法大師の四代法孫・護忍上人が長谷寺を創建。護忍上人は後堀河天皇の眼病平癒に効能を発揮し「新長谷寺」の号を賜り、国家鎮護を祈る道場として定められた。後伏見天皇より勅額を賜るなど、寺門は大いに栄えて七堂伽藍に子院十六坊を構えた。
正安2年(1300)に罹災した。住持七世隆覚上人が鎌倉二階堂出羽守の庇護を蒙り、旧観に復した。更に長禄元年(1457)に一部を焼失し、村山三河守源頼秀・山内式部函利道が大檀那として再興し、七堂伽藍など再建した。
豊臣秀吉の太閤検地で多くの寺域を失い四坊になった。徳川幕府で戻したが、明治維新で後退し、金剛院(本坊の中の客殿)を残すのみとなった。