この古墳から名古屋市内唯一の中国製の三角縁神獣鏡が出た。この鏡は三角縁波文帯三神三獣鏡とよばれる型式で、外側に波文があり、内部には、乳とよばれる突起をはさんで神獣と獣形がセットになって三対表現され、また博山路とよばれるものが表現されている。守田守夫氏によれば、道士が焼香の際に用いる勳炉であると考えられ(「三角縁神獣鏡の型式譜諸説」「東京国立博物館紀要」)、道教の影響がみられる。この同箔鏡は福岡県忠隈1号墳、兵庫県小見塚古墳・お旅山古墳、出土地不明の泉屋博古館蔵のものが知られている。

白山藪古墳で残存する墳丘の規模は、径20m、高さ4mで円墳状であるが、前方後円墳の可能性もある「白山藪古墳発掘調査報告書」。


内部には木棺が粘土でおおわれた粘土槨があった。粘土槨の北側に塼積の副室があり、副葬品が納められていた。棺内には、三角縁波文帯三神三獣鏡、倣製内行花文鏡、変形四獣鏡、碧玉製の匂玉、琥珀製品やガラス玉を含む玉品が、副室には、鉄製武器・工具があった。


副葬品のなかでは、3枚の鏡は三角縁三獣鏡を一番下にして、残りの2枚が重ねられていた。出た位置は、ちょうど消失した頭の位置にあたっている。出土状態から、この鏡は丁重に扱われていて、副葬品のなかでも重要視されていたことが分かる。この鏡が特別な扱いと受けたのは、ヤマト政権から配布された中国製の三角縁神獣鏡であったからである。


副葬品の倣製内行花文鏡、変形四獣鏡などの国産の鏡は5世紀に下るものであり、匂玉も4世紀代に多いヒスイ製品がなく、総合的に考えると、古墳時代中期・5世紀前葉となる。


参考:

北区史 第三章古墳時代の北区 第二節庄内川中流域の大型古墳の変動

名古屋市北区楠味鋺丁目
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