善師野村にある。臨済宗、美濃國上加納瑞龍寺の末寺。山号は護應山。寺伝によれば、当寺は延暦二十四年(805)、坂上田村麿の建立、中興開山は悟溪和尚で、その後寛永二十年(1643)僧空屋の再建。
本尊 釋迦木像。
観音堂 聖徳太子作の馬頭観音を安置する。尾張國三十三観音の一つ。田村麿の寄附で、京都清水寺本尊と同木という。
田村麿塚 境内にある。この寺創建の主であることから、後年塚を築いたという。また寺宝に田村麿の画像がある。
坂上田村麿(麻呂)は1200年程前の平安時代、征夷大将軍として蝦夷[えぞ]征伐に度々何千名かをつれ、東山道を東征し三度目にやっと成功した。 蝦夷[えみし]のリーダー阿弖流為[あてるい]は802年投降し、京都で処刑された。
田村麿はその褒美として京都音羽山に清水寺を建立した。清水寺の奥には阿弖流為の墓もある。その後出世し、東征で宿営し、戦勝祈願を行って通ったところに、30寺程清水寺を建立したのである。現在でも残っている寺は7寺程だそうだ。
参考: 『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)