上小田井村にあり。一向宗東派、京都本山の直末。峯光山と号す。天文八年(1539)の創建で、はじめ心養坊といったのを、正保四年(1647)今の寺号に改める。

境内に太郎庵良齋の石碑がある。太郎庵は府下(名古屋)の市人(市民)で、茶事及び画に優れ、曲全と肩を並べ、世に響かせる。その子孫は今も連綿として相続する。『續編書畫一覽』『おもひよる日』『紀年大成』『名家時代指掌』等に載る。太郎庵は俗名高田太兵衛、法名唯然という。先祖は濃州九條城主織田信益の末裔で、天和三年(1683)出生、二十歳余りにして画を狩野常信に学び、画名を卜黄狐良齋と称す。茶事は二十歳余りより原叟宗佐の門に入り、後に師命によって宗也より真の台子(茶道具の棚物の一種)をみな授けられた。享保六年(1721)十月二十七日、逢源齋の五十年追善供養を覺々齋宗佐が勤めた時、鈍太郎と名付けた茶碗を図引によって得たことから「太郎庵」と称す。別号に源良齋・叢結庵・具三・曲成堂・信睦齊という。古渡橋の南に閑居し、寶暦十三年(1763)未十二月六日、八十一で没す。隨筆『茶道筆記』あり、百巻を超えるという。太郎庵没後、仏壇の本尊であった定朝作の阿彌陀および自畫賛物若干をこの寺に納められ、今は当寺の霊宝として数えられている。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

名古屋市西区上小田井1丁目259番地
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