正和二年(1313)美濃守護・土岐頼貞の招きをうけ夢窓疎石が開山した。疎石は「その境四隣に人なく、山水景物恰(あたか)も絵画に似て、幽静愛すべし」と称えて庵居し、その景観が中国・盧山の虎渓に似ているので「虎渓」と称した。
後醍醐天皇皇子・世良親王の死後、その菩提を弔うため京都嵯峨に臨川寺を開き、仏徳禅師を開山とした。しかし仏徳禅師が二年後の正慶元年(1332)に寂したため、夢窓疎石を臨川寺の開山と改め、仏徳禅師を永保寺の開山とした。
国宝指定。本堂。正和三年(1314-夢窓疎石が虎渓に来て一年後)に建立した。明治三四年(1901)に国宝に指定された。指定理由は、1)鎌倉円覚寺の舎利殿に次ぐ鎌倉末期の唐様建築の代表作であること、2)唐様建築に和様建築を折衷させた構成、3)主要部分における改修後補が少なく当時の面影を残していること。
檜皮葺で軒反りのある屋根や、上屋と裳階のどっしりとした構成は禅宗特有の様式である。軒に垂木を用いず四隅に隅木のみを見せる板張り、枓栱が詰組でなく亜麻組であること、円柱上部に粽(ちまき)を付けて台輪を置くが下部に粽も礎盤もないこと、床は拭板敷とし裳階前面一間通りは吹き放しとする点なども特徴である。
正面観音開きの棧唐戸は上半に花狭間の組子がある。須弥壇上の岩窟式厨子には聖観音菩薩の坐像が本尊として納められている。
国宝指定。開祖夢窓疎石、開山仏徳禅師の坐像が安置されている。足利尊氏によって文和元年(1352)に建立され、観音堂とともに国宝に指定されている。観音堂は唐様本位であるが、開山堂は純正唐様ともいうべく室町初期の代表的建築である。方三間の礼拝後方上段に方一間の祠堂、この二つをつなぐ相の間の三棟が併され一堂を構成する。後世の神社建築の一様式である権現造の原型である。
国宝指定。横104.5cm、縦177.7cmで絹本着色。雲に乗って立つ先手観音が描かれ、その上方に円形の中の如来像がある、中心の本面の左右に一面ずつ横向きに描かれた面相、強烈な色彩など、日本に類のない特徴から、中国・宗時代の絵画であろう。寺伝では呉道子筆としている。現在東京国立博物館に保管されてりう。
国宝。像高80cmの寄木造、玉眼。南北朝時代の作風で肉身は金色、袈裟天衣は彩色である。
石立僧としてもすぐれる夢窓疎石の作で国の名勝に指定されている。疎石の他の作は苔寺の京都・西芳寺などがある。
観音堂傍らの岩山を梵音巌、かかる滝を梵音の滝という。池にかかる屋形の橋は無際橋という。
参考:『多治見市史 通史編 上』(多治見市、昭和五五年)7、8、36-40頁