楽田村の小名である。小牧驛善師野驛の間の里で、茶店などがある。中昔より文字を「勝部」と書く。『梅花無盡藏』(1485頃)にも勝部と見える。むかしは皇后・内親王などの御名代として、諸國に庄園を給い、何々部と称したが、この地は嵯峨天皇の皇后橘喜智子(たちばなのかちこ)に賜わったため、里の名となったという。『日本後記』

弘仁五年七月辛亥六日尾張國丹羽郡田二十四町賜夫人從三位橘朝臣諱。

(:弘仁五年(814)七月辛亥六日尾張の國丹羽郡の田二十四町を夫人従三位橘朝臣諱に賜う。

桝形

街道を二度直角に曲げ、外敵が進入し にくいようにした宿場などによく見られる。現在の若宮交差点の一本北のところ。 現在はそのショートカットされた道が出来てしまっている。

犬山市勝部前
種別