共に庄号で、篠木は内津村をはじめとして、西南の方へ三十三村がこの荘である。むかしは篠城とも書き、寛平二年(890)の『熱田縁起』に、日本武尊が尾張に還り篠城に到り、食べ物を進められたとき...と見える。『東鑑』に、建久五年(1194)十月二十五日。故鎌田兵衞尉正清息女が参上し。尾張の國志濃幾・丹波の國田名部の両荘の地頭職に恩賞として任命されたことが記され、『三國傳記』には今の文字がある。また柏井は松河戸・中切邊四五村の庄号であるが、『和名抄』にも見え、ともに古い庄号である。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

春日井市篠木町7丁目20番地38