※考証の余地あり
船津村をいう。むかしはこのあたりまで入海にて、船着湊だったといい伝え、この辺りの山を目当てに帆を巻き収めたため、帆巻山といったが、蒼海変じて田となり、のちに小牧山と改めたと、ある書にいう。今、外山の台地から西方を見ると、まさしく地低く、入海の様子が見える。帆卷の事はいかがであろうか、さらに考えるべき。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)