永禄10年(1567)の秋、織田信長は10,000の兵を率いて北伊勢に侵入し、高岡城を攻撃した。しかし、城主神戸具盛の女婿である山路弾正盛信と城兵1,000は、昼夜を分かたぬ信長の攻撃を退いた。
翌年、永禄11年(1568年)2月、信長は20,000の兵を率いて再び高岡城を包囲した。山路弾正盛信は城下の町屋に放火して裸城とするほか、降伏したふりをして抗戦した。最終的に、信長は柴田勝家と木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の勧告を受け入れ、信長の三男である三七信孝が具盛の養子となった。その結果、具盛は高岡城を開城した。