裁断橋の西のたもと、南側にある。時宗、亀井山圓福寺の末派。堂内に安阿彌作の奪衣婆(だつえば)の坐像を安置する。いわゆる三途川の嫡子はこれである。
また『熱田舊記』に、永禄の頃、幸順僧都という僧がこの川を歩いて渡ろうとしたところ、水が高く、あやまって溺死してしまった。ゆえに僧都川と呼び初めたという。その頃、この辺りに貪欲な老婆がいて、かの僧の衣類をも剝ぎ取った。老婆は程なく命を終えたが、欲心深き老婆であったので、霊魂は夜な夜なこの辺りを彷徨っていた。縁類はこれを憐れみ、罪障消滅(罪を消して成仏させる)のため、三途川の姥の像を安置したといわれている。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)