斎藤帯刀左衛門尉利藤(入道大年居士)が建立した。大年居士は悟溪和尚に帰依した外護旦越(庇護者)である。應仁元年(1467、丁亥)八月、天台の舊跡を転じて伽藍を建立し、主君の土岐成頼の菩提所とした。
土岐氏は先祖以来相國寺派で、革手の正法寺の旦那(庇護者)であった。成頼一人が関山派に帰依し、数ヶ所の庄園をかの寺に寄附されたのである。政房は成頼の為の法事等を行う時は、みな革手の正法寺にて行った。頼藝も継承して正法寺で法事をした。
天文十五年(1546)尾州織田信秀と斎藤が瑞龍寺西南にて大いに戦った。この時、備後守信秀は岐阜の四方より火を放ち攻め寄せた。瑞龍寺も兵火により焼失した。その後、永禄七年(1564、稲葉山)、慶長五年(1600、関ヶ原)の合戦でも武家の為に焼かれたが断絶なく、法の流れは繫栄して悟溪一派の本寺となっている。
大年居士がほかに一字を建立し、自ら位牌所とした。開善院がこれである。
参考
『美濃明細記 巻第十三 茂々久岐根付録』(伊東実臣、元文三年-1738)