日野村井町に鎭座する。祭神は天穂日命。

欽明天皇六年(545)四月、綿向の嶽に鎭座し、のち現在地へ遷した。康永年中(1342-1345)火災に遭い、松波光兼・松波綱政が大願主となり西明寺の僧・聖源を勸進して社殿を再造した。大永三年(1523)兵火で社殿が延焼した。天文十年(1541)蒲生下野守定秀が再建して社領十石を寄付した。徳川氏の時代には社領十石の朱印を付された。

祭礼は毎年四月上の亥日に行われ、神輿三座が出て山鉾或は引き物が出る。

村井御前社

綿向神社の地主神とされる村井御前は、近江の狭々貴山君の祖・韓袋宿禰の妹である。顕宗天皇(在位485–487) 即位後、古老を召して父・押盤皇子の葬所を尋ねた際、置日の老媼がその所を知ると奏した。天皇は来田綿の蚊屋野に行幸し骨を収め改葬され、その功により近江の群猪の地を賜った。里人はこれを尊び村井御前と称した。

仁賢天皇十年(497)二月、伊部森に社を建て、置日の森とした。これは今の綿向の地である。延暦十五年(796) に馬見岡神社を遷し、更に馬見の森といった。また境外に野神という老杉があり、置日老媼の墓という。

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)434、435頁

蒲生郡日野町村井705番地
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