元は名古屋城下の石切町の光明寺の南隣にあった。山号は重寶山。浄土宗、京都百萬遍智恩寺の末寺。開山は智恩寺の僧笈長、本願人は信長公の長臣林佐渡守信勝(はじめ通勝)、法名養林寺泰雄玄規の建立で、美濃國岐阜に在ったのを、のちに清須に移し、慶長年中(1596-1615)再び石切町に遷した。
- 本尊:阿彌陀如来。左馬頭源義朝の護持仏で、義朝が内海で不幸にあった後、熱田大宮司が季範の家に在ったのを、義経平家追討上京の時、乞いて得て携えていたが、法然上人へ伝わり、その後笈長に伝来して、この寺の本尊となったという。
- 寺宝:阿彌陀画像。平敦盛の母衣ぎぬに、法然上人自筆で、熊谷直實入道達生へ授けられたのを、天正年中(1573-1592)信長公が黒谷より取りよせ、この寺の宝物とした。
- 塔頭:攝取院。正保二年(1645)の建立である。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)