名古屋城郭内の三の丸に鎭座する。徳川義直(尾張徳川家初代藩主)が大僧正天海(號は南光坊)を請待して元和五年(1619)己未九月十七日に創建した。中央に贈太政大臣正一位源朝臣家康公の御神像を安置し奉り、左に山王権現、右に日光権現を配している。

御本社(南向)・祭文殿・渡殿・中門・瑞籬・御供所・鐘樓・神輿殿・御寶藏・御井・鳥居・樓門、いずれも善美を尽くし、あるいは朱粉丹青を施し、または金銀銅鐵を散りばめ、荘厳の美麗は言い表せない。

御本地堂 藥師及び脇士・三菩薩・十二神將・四天王像を安置。
護摩堂 不動及び四天の木像・十二天の畫像を安置。
御神寶 御太刀三口、國行・正恒・宗近。又歌仙の色紙三十六枚は、青蓮院法親王の御筆。また牛玉一個あり。その他多数。

祭礼

毎年四月十五日、三基の神輿を祭文殿へ渡し、神供を奉り、十六日に神饌を調進し、早朝に舞樂を奏す。同夜、御神前にて社僧の論議が行われる。十七日暁に御供を奉り、罪人の赦免の義が済んだのち、車楽及び町々の警固を引渡す。こうして神輿三基が末広町の頓宮(御旅所と称す)へ神幸する。

神主(騎馬)、社僧(手興)、末寺の僧十人(騎馬)、御城下十社の神主らが供奉し、警蹕の官士は前に二騎、後に二騎、その他徒歩の諸官人に至るまで、総勢四千人余に及ぶ。善美華麗を尽くすのみならず、その厳重・端正な行列は他に比類ない。

神輿の前では、楽人が歩きながら音楽を合奏し、神輿が通る道すがらは、両側に竹矢来を結んで往来を禁じ、家毎に滝掃して、もともと砥や矢のような大道もさながら磨いた鏡の面のようである。両側の桟敷には、幕を張り、屏風を立てて、毛氈などしいて、拝見の男女、貴賤の区別なく、思い思いに華美を競うのも太平のようで、 神輿のありがたさはいよいよ深まる。

神興が還幸した後は、家毎に我後れじと矢来を取り払い、店々の飾りを元に戻す。また拝見の諸人、 老弱男女入り混じって、往來狭しと押し合う賑わいとなる。みな神恩の余澤であり、 昇平の瑞象、 上下万歳を謳う慶びは、誠に尊く覚える。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市中区丸の内2丁目3番44号
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