勝栗村にある。本願寺宗東派、京都本山の直末。山号は搗栗山。はじめは天台宗で、專光坊といい、削栗神社の社僧だったといい伝わる。やがて嘉禎年中(1235-1238)親鸞上人に帰依して、当宗に改める。その際、上人がしばらくこの寺に滞留されたため、今も旧跡の数に入る。もとは五坊野といって五箇寺あったが、岐阜乱の時に兵火にかゝり、五箇寺もそれぞれ易地して、今は熊代・瑞仁寺、塚本・淨蓮寺、浮野・法林坊などが五箇寺のうちにある。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)