室町時代嘉吉・文安のころ悪疫が流行し多くの人命を失った。これをうれいた一人の善男子が毎日観音坊に参詣して観音経を読誦した。ある時岩の戸を押し開けて美しい女郎が現れた、この時一人の壮士がおどり出で、これは狐狸か妖怪の仕業ならん、打ち殺そうと飛びかかったところ、不思議や壮士の身体が動かなくなり、口がふさがりて物言へず苦しみだした。女郎は扉を押しあけ、そのまま身を隠されたので、戸閉(とたて)観音と言われたが、後世戸立観音と称せられた。この善男子の信心により、悪疫はついに下火となり、以来悪疫除の霊験あらたかなりとして近郷にその名を知られた。
本尊如意輪観世音は、自然の岩井戸の上に安置せられている。夏季の日照りにこの岩井戸の水にかへつくせば、忽ち霊雨が降ると伝えられ又この御洗井の水を呑めば、諸病忽ち平癒するといわれる。
岩井戸はまこと鏡にあらはれぬ悪しき心を捨てよ諸人
兼山の俳人米倉為休
岐阜県可児郡兼山町『兼山町史 復刻版』(平成16年)1001、1002頁