高濱山平田院。もとは飯田町の東にあった。浄土宗、建中寺の末寺。
もとは平岩氏の菩提寺で、三河國に在ったのを、主計頭親吉が甲斐國を治めていた時、甲斐の府中に移した。慶長十二年(1607)親吉が本山の城主となった為、寺も尾張に移し、片端の鍛冶屋町辺りにあったが、同十八年(1613)再び飯田町へ移した。親吉の法名は平田院殿越翁休岳大居士。また殉死本多勘介親信の石塔がある。また親吉東帯の肖像もあって、例年正月晦日に法會が行われる。
のちに当地に移った。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)